いまどき島根の歴史

第34話 弥生時代の絵画

東森 晋 専門研究員
(2022年6月7日投稿)

 荒神谷遺跡(出雲市)と加茂岩倉遺跡(雲南市)で発見された国宝の青銅器群は、弥生文化を象徴する出土品として教科書でも紹介されています。このうち、全国最多の出土数を誇る加茂岩倉遺跡の銅鐸《どうたく》には、39個中7個にシカやイノシシのような動物、トンボなどの絵画があり、弥生人の信仰がうかがえる貴重な資料です。

 加茂岩倉遺跡の絵画銅鐸が作られた弥生時代には、銅鐸のほかに土器や木製品、石製品にもさまざまな絵画が描かれました。山陰地方では出雲平野のほか、大山北麓と鳥取市北部でまとまって出土し、地域ごとに特徴がみられます。

 山陰地方で最も多くの弥生絵画が確認されているのは青谷上寺地《あおやかみじち》遺跡(鳥取市)です。加茂岩倉銅鐸とよく似たイノシシのような動物の絵画もあり、木製品に動物や魚を複数描く例があるのも特徴です。青谷上寺地遺跡の西側では、山陰最古級の弥生絵画が多数描かれた泊村銅鐸(鳥取県湯梨浜町)が出土しています。

 一方、大山北麓では、梅田萱峯《うめだかやうね》遺跡(鳥取県琴浦町・同県大山町)の墳丘墓上にシカが描かれた複数の壺《つぼ》が並べられ、妻木晩田《むきばんだ》遺跡(米子市・大山町)と周辺の遺跡では、人物や建物など物語の場面を思わせる絵画が描かれた土器が出土しています。そのほか鳥取県では、近畿地方の銅鐸や土器に描かれる三角形の魚の絵画が確認されています。

 出雲平野では、壷に描かれる例が多く、モチーフが推測できるものにはシカと魚があります。シカは各地で最も多く描かれ、さまざまな種類がありますが、出雲平野の遺跡で出土したシカの絵画は、全て直線的な1本線の組み合わせで表現されています。

 弥生時代前期の終わりごろ(約2400年前)に、北部九州で土器棺に描かれた初期の弥生絵画は、1本線で表現されているので、出雲平野では伝統的な表現方法が用いられたのかもしれません。

 これに対し、雲南市大東町の郡垣《こおりがき》遺跡では、出雲平野と異なる表現のシカの絵画が確認されました。複数の線で首から胴を表現し、その中をチェック柄で埋め、足先は二又に表現されています。

 足先を二又に表現したシカの絵画は、島根県では加茂岩倉遺跡21号銅鐸にあり、大型壺に描かれた例は稲吉角田《いなよしすみた》遺跡(米子市)にあります。さらに首から胴をチェック柄で埋めるシカを描いた土器は、唐古《からこ》・鍵《かぎ》遺跡(奈良県田原本町)を中心に近畿地方の遺跡で多数出土しています。

 このように、弥生時代の絵画に注目すると、当時の地域のまとまりや、道具の地域性では気付くことができない遠隔地との精神文化のつながりが見えてきます。

山陰の弥生絵画分布図(図・写真は報告書・パンフレット等より加工・転載)