いまどき島根の歴史

第37話 出雲の須恵器と窯元

岩本真実 特任研究員

(2022年6月28日投稿)

島根は民藝(みんげい)運動に早くから関わり、松江では茶道に親しむ方々も多いためでしょうか。民藝の展覧会が開催されたり、島根の焼き物の窯元展がショッピングモールなど日常の場でしばしば催されたりしています。私も松江に住みはじめてから、県外にいた時よりも焼き物を身近に感じるようになりました。

窯で焼き物をつくる歴史は古く、日本では古墳時代の須恵器(すえき)という焼き物までさかのぼります。島根にもいくつかの須恵器窯がありますが、松江市の大井窯跡群(大井町)は『出雲国風土記』に「大井浜(中略)陶器を造れり」と記され、古くから知られています。

大井窯跡群は古墳時代から平安時代の長期間にわたり須恵器を生産し、なかでも6世紀後半から8世紀前半にかけては出雲の須恵器生産を集約的に担っていたようです。近年では大量生産のために大井以外の地域から工人を集めたという考えも示されています。

出雲東部の大首長の墓と考えられている山代二子塚古墳の出雲型子持壺(こもちつぼ)と共通する須恵器が窯跡でみつかっていることと、出雲東部の首長の古墳に共通する石室規格である石棺式石室やその影響を受けた石室がこの地域に存在することなどから、出雲東部の大首長が大井窯に影響を与えたと考えられています。

一方で、大井の須恵器工人の墓には焼き物の棺である陶棺(とうかん)が見られます。これらの陶棺は独特かつ多様で、規範にしばられない工人たちの自由な気風が発揮されています。以前この欄で紹介したように、出雲の須恵器は他の地域と異なる特徴が多い個性的なものですが、こうした工人たちの意識が個性的な須恵器生産につながったのではないでしょうか。

また、大井の窯には排煙口から外側へ溝がつづく窯が採用されています。このタイプの窯は当時の中心的地域であった近畿地方中枢にはほとんどなく、九州北部から日本海沿岸、東海、関東に分布しており、大井窯では須恵器を効率よく生産するための情報を日本海沿岸地域の関係のなかで取り入れたことがわかります。中心地域との関係のみを重視していない状況は、出雲独自の個性的な須恵器生産ともつながります。

排煙口に溝が付けられた松江市大井窯跡群池ノ奥4号窯跡(『松江市史』より)

出雲の須恵器は伝統的な形を長く保ち続ける面では保守的とも言えますが、詳しく調べると、他地域とは異なる形の須恵器を作り、自分たちの個性を大切にする工人の姿が見えてきます。それは現代の島根の窯元で、それぞれ味のある焼き物を作りだしている様子と共通するように感じられます。出雲の古代の須恵器と現代の焼き物との共通点や相違点を探りながら、民藝の品々を見てまわるのも楽しいものです。

大井窯跡群の須恵器〔矢印は他地域と異なる特徴を持つ器種〕
(遺物:松江市所蔵、写真:島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)