第1話 神在月の起源
平石 充 主席研究員
(2021年10月3日投稿)
10月8日に劇場公開されるアニメーション「神在月のこども」は、出雲地方や主人公を導く白兎《しろうさぎ》が登場するなど、神々の国 島根・出雲の“神在月”が題材として描かれている作品です。
この題名にも取り上げられている、神在月についてあらためて紹介すると、旧暦の10月に全国から出雲に神々が集まるので、出雲ではこの月を神在月と呼ぶ(出雲以外では神無《かんな》月と呼ぶ)ということになります。
この神在月はいつ頃からあるのでしょうか?実は奈良時代の『古事記』『日本書紀』『出雲国風土記』には、出雲について神在月やそれに相当するような神様が集まる話は見られません。現在のところ、このような考え方みえる最も古い文献は、平安時代の終わりごろ、12世紀半ばに記された『奥義抄《おうぎしょう》』や『和歌童蒙抄《わかどうもうしょう》』という和歌についての本で、天下の諸神《しょしん》が出雲に集まるから10月を神無月と呼ぶ、という話が記されています。
神在月の考え方が、12世紀以前のどこまでさかのぼるのか、それを掘り下げるために、神在月の要素を分解し、それぞれの成り立ちについて考えてみましょう。
神在月の要素は①10月に、②出雲国に、③全国の神様が集まる、から成り立っています。ここでは①と②、10月の出雲国が特別視されるようになる時期について検討してみます。
写真は『権記《ごんき》』と呼ばれる平安貴族の日記で、長徳元(995)年10月6日の記事です。これによると、出雲国が「熊野(松江市熊野大社)・杵築(出雲市出雲大社)両神の祭があるため、国内の政務を停止しており、犯罪者の裁判ができない」と報告してきています。古代における公的な神祭り(神祇祭祀《じんぎさいし》)については、当時の法律(神祇令)に実施する月が定められていますが、10月には神祭りがありません。これらのことから、全国でも出雲国の熊野・出雲大社のみが10月に何か重要な祭礼を行っていたのではないか、という推測がなされています(田中卓氏説)。
ただし、奈良時代に出雲国から出された公文書の日付を見ると、10月に出されたものが数多く見られますので、奈良時代には、まるまる一ヶ月のあいだ政務を停止したとは思われません。
まだわからないことが多いのですが、平安時代になると熊野・出雲大社の10月の神祭りが重要視されるようになり、このことが神在月の考え方が生まれる背景になった可能性は十分想定されます。