いまどき島根の歴史

第2話 母を慕って出雲に集う神々

松尾充晶 専門研究員
(2021年10月10日投稿)

いよいよ今月8日から、アニメ映画「神在月のこども」の劇場公開が始まりましたね。残念ながら私はまだ映画を見ていませんが、予告ムービーによれば、主人公の少女カンナが亡くなった母の面影を追って出雲に向かう、というストーリーだそうです。この「亡くなった母を慕って出雲へ」という設定を見て私は思わず「おっ!?」と声を出してしまいました。

そもそも、やおよろづの神々はなぜ旧暦十月に出雲に集まるのでしょうか。今日では「様々なご縁について会議するため」という解釈がよく知られていますが、その理由は中世以来さまざまに説かれてきましたし、今ではあまり語られない、まったく別の解釈や主張もありました。そのひとつが、「神々は、母神であるイザナミが亡くなった十月に、その葬地である出雲へと集う。それは、母神への追慕のためなのだ。」という言説です。少女カンナが恋しい母に会いたくて出雲を目指す、という映画のストーリーとオーバーラップするようですね。ひょっとすると映画の脚本を書かれたお二人は、この古い伝承を知っておられたのかもしれません。

こうした言説が歴史上はじめてあらわれるのは、戦国時代(15世紀末)に佐太神社(松江市鹿島町)で記された『佐陀大社縁起』という書物です。その要点をまとめると、①佐太神社の祭神は諸神の父母、イザナキ・イザナミである。②親神への「孝行の義」を示すため、神々は佐太神社に集う。③神在月が十月なのは、イザナキが崩御した十月十七日に合わせて神々が集うからである。④亡くなったイザナキは垂見山(佐太神社背後の現・三笠山を指すか)に葬られた、というもの。

③では亡くなったのがイザナキ(父神)とされていますが、これが江戸時代初めには母神であるイザナミへと置き換わっていきます。イザナミが火の神を産んで亡くなったという、『記紀神話』を基にした神道説との整合が図られたようです。そして④の埋葬地に関しては『古事記』でイザナミの葬地とされた比婆山と、出雲の山を重ね合わせる解釈が広まり、佐太神社だけでなく神魂神社や熊野大社でもそれぞれに「母神イザナミの葬地」に由来する神在祭がおこなわれました。こうして、「十月はイザナミが亡くなった月であり、神々が母を慕って出雲に集うので神無月という」という解釈が京都でも広く知られるようになったのです。

上空から望む佐太神社(松江市鹿島町)。
『佐陀大社縁起』の「垂見山」は、社殿背後の三笠山を指すとみられる。

神話や伝承は時代によって様々に形を変えていきます。現在、佐太神社での神在祭において「イザナミへの追慕」は表面には出てきません。しかし境内背後の山中に鎮まる摂社「母儀人基社《はぎのひともとしゃ》」はイザナミの神陵として大切にお祭りされていて、母神に対する信仰の要素を今に伝えています。長い時代を経て複雑に重なり合う祈りの厚さを物語る空間、と言えるでしょう。 さて、映画の主人公カンナは、無事に出雲でお母さんと会えるのでしょうか?私もその点を楽しみに、これから映画館へ向かうことにします。

佐太神社摂社の母儀人基社。
社殿はなく、イワクラ状の石組みを注連縄が囲んでいる。