いまどき島根の歴史

第3話 「神の留守」を守る神

石山祥子 専門研究員
(2021年10月17日投稿)

俳句の季語を集めた歳時記には、神在月に関連する言葉が載せられています。「神無月」、「神在月」はもちろんのこと、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の句「留主《るす》のまに荒れたる神の落葉かな」で知られる「神の留守」や、「神の旅」なども冬の季語です。神々が旅立ち、主がいなくなった神社を地元の人が留守番をする風習が伝わる地域もありますが、留守役を勤めるのは人間だけに限りません。

北は東北、南は九州に至るまで、全国各地には出雲へ行かずに留守番をする「留守神《るすがみ》」が存在します。例えば、荒神《こうじん》のような屋敷や竈《かまど》を守る神々は、家を空けられないため留守役を勤めると言われています。

関東など東日本では、エビスが留守神の代表格です。そのエビスが留守番をしていた神無月に、江戸で大きな災害が起きたことがありました。安政2年(1855)旧暦10月2日に関東地方南部を襲った安政江戸地震です。M7クラス(推定)の首都直下型地震で、江戸を中心に甚大な被害をもたらしました。

当時、地震は地中に棲《す》む大ナマズが暴れることで起きると考えられていました。普段は、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)にまつられている神が、要石《かなめいし》と呼ばれる石でナマズの動きを押さえていますが、安政江戸地震はこの神がちょうど出雲へ行って不在だった時の出来事でした。留守番をしていたエビスは、何をしていたのでしょう。

「恵比寿天申訳之記」(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)

安政江戸地震の発生直後から、ナマズをテーマにした「鯰絵《なまずえ》」と呼ばれる刷《す》り物《もの》が短期間で大量に出版され、大流行しました。現在確認されているだけでも200種に及び、その中にはエビスが登場する図柄もあります(写真)。図の右側に厳しい顔で座るのは鹿島神、左側にはナマズたちが頭を低くしてズラリと並んでいます。その間に座り、鹿島神に話しかけているのがエビスです。エビスはお酒を飲み過ぎて寝入ってしまい、ナマズの大暴れを止められなかったと釈明しています。別の鯰絵でも、要石にもたれて眠るエビスの周りで、大暴れするナマズが描かれています。エビスの居眠りが地震を引き起こしたというのが、当時の人々の共通認識だったようです。

 エビスが留守神になった理由については、次のような話を伝える地域もあります。エビスが出雲に行った時に食べた餅があまりに美味しく、これを盗み帰ったため、それ以来出雲に行きづらくなったというものです。  七福神の一神、商売繁盛や豊漁の神など、様々な性格を持つ神として、現代でもエビスは信仰を集めています。神無月のエビスにまつわるエピソードは、この神が身近な神として人々に広く親しまれてきた証ともいえそうです。神在月には、出雲に来られる神々だけでなく、留守役を全うするために奮闘する神々にも、思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。