いまどき島根の歴史

第5話 映画「神在月のこども」にみる神集い伝承

品川知彦 古代出雲歴史博物館学芸部長
(2021年10月31日)

母を亡くし、走る楽しみを忘れた少女カンナ。実は神(韋駄天《いだてん》)の末裔で、韋駄天は出雲大社での神集いにおいて、全国の留守神を巡り、神々の食事(馳走《ちそう》)を集める役を代々担っていた。カンナは因幡の素兎《しろうさぎ》などの助けを得て苦難を乗り越えながら出雲大社に馳走を届けたことで、縁が結ばれ、走る楽しさ(以前の姿)を取り戻した。公開された映画「神在月のこども」のストーリーは、このようにまとめられるでしょう。

 この連載コラム第2話で、亡くなった母を訪ね歩くイメージが出雲への神集いに重なることに触れていますが、この映画は他にも神集いに関する実際の伝承を参考にしたと思われるところがあります。

まず、留守神として諏訪(大社)の神が巨大な龍として表象されていることです。諏訪の神が十月に出雲に集わず留守をするという伝承は、諏訪大社下社《しもしゃ》が鎮座する長野県下諏訪町はじめ、群馬県前橋市・みなかみ町・中之条町などにあります。いずれも留守をするのは、巨大な(龍)蛇ゆえに、出雲に来ても居場所がない、他の神の邪魔になるからとされています。この留守神の伝承からか、ネット上では「十月は信濃も神在月」という新しい伝承が創造されているようです。

姫路神社(鳥取市気高町)
 祭神は出雲で酒造りを行い、疲れて帰ってくるので、静かに慎んで暮らす「お忌みさん」が旧暦11月になされている。

また、馳走を集めるというカンナが出雲に赴く目的も、実際の伝承を背景にしているのかもしれません。民間伝承では、一般的に神々は男女の縁を結ぶために出雲に集うとされていますが、新潟県佐渡、鳥取県鳥取市、島前、長崎県の五島列島などでは酒造り、京都府福知山市や高知県大月町、熊本県天草などでは料理のために、神々は出雲に集うとされます。カンナのように、祭に必要な酒や供物を準備するために出雲に集うとする伝承もあるのです。

映画では、出雲は神々の国、また、あの世とこの世をつなぐ地として描かれますが、ストーリー全体からすれば、魂などの再生の場所ともイメージされているようです。実は出雲(大社)に神々が集う理由の一つに、極陰の十月、極陰の方向(戌亥《いぬい》)にある出雲に、陽である神々が集うことによって、出雲から陽の来復がある、誤解を恐れずに言えば、世界の再生がなされるという考え方があります。それ故、出雲は万物起元の霊地ともされています。深読みが過ぎるかもしれませんが、カンナが出雲大社の神集いを通して再生したことも由なしとは言えないのです。 出雲や神集いに関連する伝承を探しながら鑑賞することも、この映画の楽しみ方の一つかもしれません。