第7話 外的退散! 隠岐のスサノオ
吉松大志 主任研究員
(2021年11月14日投稿)
スサノオは、オロチ退治など勇猛な性格で現在も人気が高い神です。出雲を舞台とした神話の中心的な神ですが、実は隠岐でも、早くからスサノオが信仰されていたことを示す記録があります。
それは、884(元慶8)年に隠岐国の「健須佐雄神《たけすさのおのかみ》」に対して従五位下が授けられた、というものです。これは朝廷が全国の神々に対し位を授ける「神階授与《しんかいじゅよ》」の一例ですが、その理由などの詳細は記されていません。ただどうやらこの背景には、隠岐国における軍事的な緊張があったようです。
このころの日本は、富士山が噴火し、東北地方で大地震が発生した災害の時代でした。そして朝廷の占いで、こうした天変地異は朝鮮半島の新羅《しらぎ》から攻撃される兆しだとされ、対外的な危機感が高まります。そのさなか、866(貞観8)年に隠岐国の役人が新羅人と結んで朝廷への反逆を企んでいるとの密告がなされます。その密告は嘘であったことが判明するのですが、同じころ、九州でも新羅人と役人が共謀したり、新羅の海賊が日本の船を襲撃したりしていました。当時の日本はまさに内憂外患《ないゆうがいかん》で、国家存亡の危機に瀕していたのです。
そこで朝廷はさまざまな策に打って出ます。まず異賊を調伏《ちょうぶく》するために、山陰の国々の寺院に四天王像を置きました。さらに弩《ど》と呼ばれる機械式の大型弓の製作・配備を担う専門職・弩師《どし》が、諸国に先がけて隠岐国に配置されます。その配置を命じた文書には、隠岐国は「辺要(軍事的に重要な地域)」だと記されています。
隠岐国の「健須佐雄神」への神階授与もこうした政策の一環と考えられます。実は勇猛さを示す「健」を冠してスサノオを表記する例は、古代では非常に珍しいのです(ほかは古事記のみ)。それだけスサノオの武勇神としての性格を、当時の隠岐の人びと、そして朝廷が頼りにしていたのでしょう。 日本海は、最先端の文物をもたらす恵みの道である一方、現在の私たちも日々感じるように、常に軍事的脅威にもさらされる国土防衛の最前線でもありました。日本海に浮かぶ隠岐国で信仰されていた、猛々《たけだけ》しい武勇の神スサノオに高い位を授けることで、朝廷はその神威が新羅や海賊の侵攻から日本を守ってくれる、と期待したのでしょう。