いまどき島根の歴史

第8話 遺跡で出土する中世の甲冑 

東森 晋 専門研究員
(2021年11月21日投稿)

森原下ノ原遺跡で出土した甲冑の部品(島根県埋蔵文化財調査センター提供)
参考 江戸時代の甲冑(松江歴史館所蔵品)

中世の日本では、武士の戦い方に合わせて甲冑《かっちゅう》が独自に進化を遂げました。大勢の足軽が動員される戦国時代には戦いが大規模になり、甲冑も大量に作られています。その一方、県内で確認できる中世の甲冑は、神社に奉納された高級品などがわずかに知られるのみで、大勢の武士達が使用した甲冑については、ほとんど様子が分かっていません。

こうした中、遺跡から出土した甲冑の部品が近年詳しく調査されるようになりました。出土した鉄製品は、多くの場合破損し、厚い錆に覆われて元の形が分からなくなっています。そこで、X線撮影を行って本来の形状を調査します。最も確認される部品は、径数ミリの穴が10個以上ある、小札《こざね》と呼ばれる切符サイズの板です。中世の甲冑は、鉄や革で作られた小札を何百枚も紐で綴じ合わせて作られていますが、一つの遺跡から出土する小札は、通常1枚から数枚程度です。部品がわずかに出土するだけでは、得られる情報も少ないように思われますが、詳しく観察することで、甲冑が作られた時代や背景を知ることもできます。

中世の甲冑の部品は、島根県内では12遺跡で出土しています。益田市の稲積《いなづみ》城《じょう》は、南北朝時代に南朝方の石見国司である日野《ひの》邦光《くにみつ》が築いた伝承があります。発掘調査で出土した鉄製品をX線撮影すると、鎌倉時代末期から南北朝時代頃の小札が3点確認されました。甲冑が大量に作られる以前のもので、稲積城に高価な甲冑を身に着けた人物が居たことが明らかになりました。安来市のシアケ遺跡で確認された山城は、築城や城主に関わる伝承は残っていませんが、出土した小札は大型品で、県内出土品で最も古い鎌倉時代の可能性があります。

甲冑の部品は、山城跡や城下町遺跡以外で出土することもあります。江津市の森原下ノ原遺跡では、江の川に面した河岸段丘上で、室町時代の小札36点や籠手の部品が出土しました。大きさや形式の異なる5種類の小札がまとまっていることから、補修用に保管されたものとみられます。

古代以前に比べると古文書や絵画、建造物などが現代に伝わる中世ですが、島根ではまだまだ不明な点があります。武士の時代を象徴する甲冑の情報から、身近な歴史が明らかになるかもしれません。

島根県内で出土した小札