いまどき島根の歴史

第9話 もてなしの料理彩る美物

目次謙一 専門研究員
(2021年11月28日投稿)

「島根県の飲食店・生産者を応援しよう!」と行われている「Go To Eatキャンペーンしまね」。その食事券はあちこちでお得に利用できます。この機会に地元の旬の幸を味わって、あらためてその良さを再発見してみてはいかがでしょうか。

戦国時代の島根でも、地元の産物をふんだんに使った、ひと味違うもてなし料理を見ることができます。1568年正月、石見国美濃郡(益田市)の領主・益田藤兼《ますだふじかね》と次郎(のち元祥《もとよし》)親子は、石見国をはじめ、中国地方を広く支配していた戦国大名・毛利元就《もうりもとなり》の本拠・吉田郡山城《よしだこおりやまじょう》(広島県安芸高田市)を訪れて、両者の友好関係を確認しました。益田氏は祝宴の席を設けて、海と山のさまざまな珍味を用いた料理を振る舞いました。

益田氏に伝わった文書に残る、この料理の献立をみると、高級食材がたくさん使われています。

具体的に挙げると「鮑《あわび》」や「さゞゑ」(さざえ)のほか、「川おそ」(かわうそ)、「白鳥」といった現在では珍しいものが含まれます。「あこ」(トビウオ)、「あいのしらほし」(鮎《あゆ》の白干し)、「こうるか」(鮎の腸や卵の塩漬け)などもあり、ふるさとの特産品も、この料理に用いられたことがわかります。

鮎など益田市域の特産品

これらおいしい魚介類や鳥類などは、当時「美物《びぶつ》」と呼ばれました。室町時代の京都では、美物をふんだんに使った料理で、位の高いお客をもてなすことが盛んでした。室町幕府の重臣・伊勢《いせ》氏は、将軍が出席する宴会用に美物を数多く用意しています。

その伊勢氏の側近と、益田氏は親しく手紙を交わしました。1510年には、益田氏は将軍直属の家臣「大外様衆《おおとざましゅう》」でした。また、一時期は京都から将軍や公家を迎え入れ、屋敷に立派な庭園を設けて酒宴を開いていた隣国(山口県)の大名・大内《おおうち》氏と、益田氏との緊密な関係はよく知られています。こうした京都と関わりの深い人々との交わりから、益田氏は美物によるもてなしの料理に通じていたように思われます。 食材では「かとのこ」(数の子)と「こふ」(昆布)も注目されます。現在も北日本の産物であるこれらは、西日本では珍しかったと推測できます。おそらく、日本海の交易を通じて得られたといえるでしょう。これらを豪華な料理にちりばめることによって、益田氏は遠く離れた地方の産物を入手できることや、それを可能にする自身の経済力を毛利氏に示そうとしていた、と考えられます。